2006/04/03

Lord Of The Rings ~2

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これだけ広い世界、世代に色々な読み方をされている本も少ない。
映画を見て思ったのは、まっとうなアドベンチャー物、という解釈。
もしかすると、これが世間一般の読まれ方なのか?と
今になって気がついた次第。
考えてみたら、アメリカで人気あります。



私の読み方は、擬似神話。そして歴史物。それと旅行記。

 子どもの頃から筋金入りの「神話・伝説オタク」としては
『指輪物語』との出会いは衝撃的だった。
トールキンは、その筋の研究者だから、腕の確かな職人の技。
北欧の神話、アイスランドのサガ、イングランドの伝説などから
オイシイ味を損なわずにうまく取り入れている。
(たまに言われているようなアイルランドのケルト神話は影響薄い気も)

彼の巧みさは、神話や伝説特有の不条理さ(現代から見ると脈略不明)を残しつつ、
物語の歴史の中に系統立てて組み入れた所。
輪郭はザクザク荒削りであるのにディテールにも異常なほど凝っている。
相反する要素を同時に満たしているのは、この物語以外ありえません。
細部に凝る、といっても作者が意図したものではなく、
ただ彼はそうせずにいられなかったのだと思いますが。

もともと彼は自分の考えた言語(エルフ語)のバックボーンとして
この物語とその周辺について書き始めたというのは有名な話。
「はじめに言葉ありき」だったであろうこの物語は
最終的に様々な読み方を与えてくれる多様な側面を持つようになる。


神話として

この物語に断片的に顔を覗かせる
「中つ国の創世」「モルゴス」「ヌメノールとサウロン」
といったエピソードも、『シルマリルの物語』を読むと
本編に並行して書かれていった様子がわかる。
単なる辻褄合わせの説明ではなく、どれも独立して読むことができる作品として成り立っている。
むしろ、細部を見ると本編と噛み合わない部分もあちらこちら見受けられるのは
途中で終わってしまったからか、それとも書きながら変わり続けていったからなのか?


歴史物として

歴史と言っても、ファンタジーとして書かれているから事実ではないのは当たり前。
それなのに、妙なリアリティが感じられるのは、
サガに代表されるヨーロッパの伝承に精通している作者ならでは。
実際、読んでいると
「これはあの話だね。」
とピンとくる場面はたくさんある。
本編に全く関係ない人物にもそれなりの存在感が与えられている。
『三国志』の面白さと通じるものがあるかもしれない。


旅行記として。

旅行記としての魅力は、地味ながら大きいように思う。
ホビット庄に始まり、モルドールに至る旅の道程。
これも架空のものに過ぎないが
朝の空気感や、食事の様子、森の夜の描写など、
この辺りの描き方は、チェーホフばりに鮮やかだ。
トールキン自筆の地図を見ながら旅の道程をたどっていくのは
なんともいえず楽しい。
天沢退二郎氏が、自分の作品の地図を指して
「なんかうそくさい…。なかなかトールキンの地図のようにホントっぽくならない。」
といった主旨のことを言っていたけれど
ここにも、彼にしか出来ない
「架空の中のリアリティ」が表されている。

どちらかというと書斎や図書館が似合いそうな
トールキンが、バックパッカーや釣り人だったとは
考えられない。
やはり、こういった場面の描写は、トールキンの従軍体験(第一次大戦)が
反映されているのかもしれない。
その体験は、この物語の中で形を変えて何度も何度も
語られているように思う。

特に、「絶対的な力・権力への嫌悪と渇望」
この物語を書き始めた時にはそれほど意図していなかった
このテーマが、次第に物語の縦糸へと浮かび上がってきた過程には、
執筆の途中で第二次大戦が始まったこと、
それによって、以前の体験が呼び覚まされたことが
あるはずだ。



トールキンのディズニー嫌いは有名な話。
彼はどんなことがあっても自分の作品が「ディズニー映画」に
なることだけは許さなかったらしい(当たり前だけど)。
今、彼の親友でもあったルイスの『ナルニア国物語』が
ディズニー(といっても実写だけど)の映画になったのを
二人はどう思ってるんでしょうか?

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