じいちゃんに子守りを託し、久しぶりのスピッツのライブへ。
同世代ということで、何となくその在り方についてまで考えちゃうことの多いスピッツ。
前半期の代表曲になる "スパイダー"や"ロビンソン" は、ベッドに寝転んで悶々とする若者の
脳内妄想全開の内向きの曲で、それはそれで若者の特権なんだからいいんです。
小さな箱の中でキラキラしていれば。
ただし、それをいつまでも続けていくわけにはいかず、
その先に行くためには、必ずどこかで大きな転換が強いられるところは、
バンドも個人も同じなのかもしれません。
その転換点が彼らにとっては、一番内省的なアルバムの "フェイクファー"
なんじゃないかと思っています。
ファイクファー以降の彼らは、どこか割り切った、というか大人になったところがあって、
それはちょうど自分ともどこか重なるところがあるのだけれど、
「現実」と向き合うということは、そういうものなのだろう。と考えるようにしてます。
ただ、それまで持っていた「魔法」のようなものが消えて無くなってしまった喪失感だけは
埋める術が無く、ただ思い出すだけです。
圧倒的に美しい魔法を繰り出すような曲はもう現れることは無いと思いますが
震災のような受け入れ難い現実とどう対峙していくのか、安っぽい応援歌で
自己完結することのないように、恐る恐る言葉を選ぶような
そんな宙ぶらりんの姿勢が、自分にとっては正解なんじゃないかと感じられます。
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