今ではすっかり学術的な意味は、薄れてしまったようですが、
ブラキストン線、と昔は習ったものです。
津軽海峡を境に、生物相が変わる(ツキノワグマ→ヒグマのように)
ことを言っているのですが、そのラインを発見したのが、長く函館に
住んでいた、英国人の探検家、ブラキストンさん。
なぜ、こんなことを言い出すのかといえば、最近、こんなものを
真駒内に続く橋のたもとに見つけたからです。
ブラキストンさんと、北海道の開拓に関わったお雇い外国人技師の1人、エドウィン・ダンさんは
なんと釣り仲間、毎年鱒釣りにこの地を訪れていたそうな。
エドウィン・ダンは、かの有名なクラークさんより、間違いなく北海道の発展に貢献した
方なんですが、全国的な知名度は無いでしょうね…。
多分、時代にすると1870~1880年くらい、明治の最初期のお話です。
この頃の鱒釣り、はたしてどんな釣りをしていたのか気になるところですが、
ハーディーが、ロッド「パラコナ」や傑作リールの「パーフェクト」を
発表したのが、ちょうど1880年代です。
そう考えると英国人のブラキストンさんは、たぶん毛鉤釣りをしたのでは
ないでしょうか。
鱒、といってもいろいろです。
昔の豊平川は、山女魚の名川だったらしく、相当数の桜鱒が上っていたでしょう。
もちろん、雨鱒の大きなのもウヨウヨといたでしょうから、ゆったりとウエットフライを
スイングさせて、そんな鱒を次々とかけ、2人してワハワハと愉快に釣りしていたの
を想像すると、きっと夢のように楽しかっただろうと。
わざわざ遠路函館からやってきたのも、釣り仲間とのんびりやりたかったのでしょう。
このプレートを見つけてから、ぜひこの「鱒釣り場」で釣りをしてみたいものだと
考えていました。
家から車で20分ほどの所ですから、夕方のちょっとした空きにブラッと
行ってみます。
残念ながら、今では雨鱒は姿を消し、桜鱒を釣るのはご法度ですから
相手をしてくれるのは、ウグイでしょう。
そういえば、小学生の頃、このあたりで大きなウグイをフライで釣ったのを
よく覚えています。
河原に降りると案の定、水がありません。
ダム下にあたるこのあたり、夏はすっかり干上がってしまいまうので
いるのは、悪条件に耐えるウグイ様ばかり。
用意をしながら川を見ていると、淵尻で大きなウグイがノウッと顔を水面に出しました。
慌てて投げるも全然顔を出さず。
ほとんどライズはないので、そんなに流下物もないようです。
そのうち、ドライフライに小さなウグイが釣れました。
それからは、このサイズのウグイがポツポツと釣れてきます。
試しにウェットに替えてみると、反応よく、ドロッパーと一荷で釣れてきたり
してきます。
小さなウグイばかりですが、どういうわけか楽しくなって
真っ暗になってしまいました。
初めに頭を出した、あの大きなヤツをどうにかして釣ってみたいものだ、
と色々考えながら帰宅。
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